鉄槌伝   前雁門太守羅泰

 予は雁門の散吏、蝸舎に閑居す。目を[糸兼][糸相]に寓し、心を文箱に遊ばしむ。鉄処士名有りて伝なし。処士薬を嵩高に採り<嵩高山は仙霊神草多し>、身を袴下に潜む。老病[疒委]躄、出仕を好まず。是を以って前史闕きて録せず。夫(それ)以(おもん)みるに、我を生育する者は父母、我を導引する者は鉄槌なり。陰陽の要路、血脈の通門なり。吁嗟、吾が生の因つて出づる所なり。予見聞を綴集し、粗(ほぼ)行事を叙す。自記に備えるに非ず、以つて盧胡に資するなりと云う。
鉄槌字藺笠(いがさ)、袴下毛中人なり。一名磨裸。其の先鉄脛より出づ。身長七寸、大口尖頭<相経に云く、狼口鯖頭ありと>、頸下附贅に有り。少き時袴下に隠れ処て、公主頻りに召すも起きず。漸く長大なるに及び、仕えて朱門に出す。甚だ寵幸せられ、頃之(しばら)くし擢でて開国公と為す<国は当に黒の字に作るべし>。性甚だ敏給、能く賦枢を案じ、夙夜吟翫し、切磋倦むこと無し。琴絃・麦歯の奥、究通せざる無し<琴絃・麦歯は賦枢の篇の名>。人となり勇悍、能く権勢の朱門を破り、天下に号して破勢と曰ふ。少き時の名は卑微。同郡の人両公、これと友善。朝夕相随ひ、敢えて離弐せず。召されて門下の掾となる。身は脂膏の地に居て、潤沢の多きに居る。外の交わり有りと雖も、内の利を倶にせず。故に号して不倶利(ふぐり)と曰ふ。一名を下重。常に沈痾に嬰(かか)れど、能く予め風雨の気候を知る。時の人これを謂ひて巣処公と為す。鉄槌が子は汲水、汲水が子は哀没、哀没が子は走破勢、走破勢が嗣は衰。鹿猪代つて立ち、淫溺益々盛んなり。然るに猶偶人のごとし。
論に曰く、鉄処士は、袴下毛中の英豪なり。動くに常度なく、行くに必ず矩歩す。観(おもんみ)るに夫一剛一柔、陰陽の気候を体す。或いは出て或いは処り、君子の云為(言動)に類す。況や淫水を治めて功有り、熱湯を掬いて傷無し。太階の升平に属り、元気を吐く。此の時に当たり、偃側房内の術、窮施さぜることなし。人倫大道の方、斯に於て備われり。蓋し六籍に闕きて談らず。先聖も得て言ふこと靡(な)し。余の若き者、十分にして未だ一端を得ず。故に略其の梗概を挙ぐと云う。
論曰く、鉄子、木強能く剛(かた)く、老いて死なず。屈して更に長じ、已に陰徳を施す。誠に摩良と号す。精兵暁に発ち、突騎夜に忙し。長公主を襲い少年娘を破る。紫殿長(とこしえ)に閉ぢ、朱門自ずから康(すこや)かなり。腐鼠揺動し、鴻雁翺翔す。骨にもあらず肉にもあらず、彼の閨房に親しむ。
鉄槌が妻は、同郡朱氏が女なり。好んで啼粧を為す。閨門の内、軌儀脩(おさ)まらず。天下を遊行して、常に産業を事とす。初め彭祖に就き、竜飛虎歩の術を学ぶ。切磨未だ畢らざるに、殆ど教える所に過ぎたり。容色漸く衰え、ここに袴下に居て、終に鉄槌と同穴の義を結ぶ。吁(ああ)夫婦の愛は、天然の至性なり。鉄槌の老容を見る毎に、未だ涙を流して悲思せざることなし。後に一端の犢鼻(女の褌の謂)を著く。年五十に及び、門を杜(とざ)して人事を処せずと云ふ。
論に曰く、朱門扃(とざ)さず、白日門(門構えの中を『東』と作る)入す。日火は陰なり、陰地、一夫の程に非ずと雖も、月水は陽なり、陽泉能く万人の敵を陥る。於戯(ああ)、昆石高く峙(そばだ)てば、望夫の情禁じ難く、琴絃急に張れば、防淫の操脩まらず。況や亦一浅一深、法を竜飛に取り、或いは仰ぎ或いは臥し、術を蝉附に施すをや。彼の犢鼻夜湿り、雁頭気衝くに至つては、此は是れ淫奔、誰か矩歩と称(い)わんや。