ローレライ

というわけで見てきた。以下、ネタバレ
一言で言うと、エンターテイメントとして、非常に面白かった。密集して突っ込んでくる米駆逐艦艦隊の爆雷&ヘッジホッグ投下の場面や、時折やたらと漢気たっぷりの演技を見せる役所公司が良い。信管抜いた魚雷でスクリューのみ破壊して次々に駆逐艦を玉突きにさせたり、一撃必殺の主砲で離陸したB29を撃破するシーンなどは、娯楽作品ならではの場面だろう。墜落するB29については、CGが劇中もっともうまく使われていた場面だと思う(押井守がデザインしたB29のノーズアートは確認できなかったが)。B29の原爆投下を阻止するために、テニアン島に米軍の迎撃網に単艦突撃する描写も、実に爽快だ。
原作の分量を映画の尺に収めるために、かなりイベントや人物を削っていたが、まあこれはわからなくもない(田口掌砲長(ピエール瀧)の、南方で云々の下りは説明がないとキツイと思うが、あれは元になった話だけでも一本の映画になるくらい分量もあるし、なにより挿話としては重い話なので仕方ない)。そういやフリッツが抹消されてるけど、この映画の本筋の邪魔になるんで、いなくてもいいか。おかげで話がすっきりしたし。一個の作品とみると、部分部分で興味深いシーンや魅せられる演技があったし、爆雷に耐える潜水艦内部の描写などは、映画館の音響設備の良好さも相俟って、邦画潜水艦物としては最高の部類に入ると思う。
反面、基本設定があまりにアニメ的すぎた。別に「ローレライ・システム」に少女を用いる必要はないだとか全般的に朝倉大佐の陰謀が浅墓すぎることだとかを責めるのではない。ただ、現実に肉体をもつ俳優が演じるとなると、実写として表現されるだけに薄っぺらく見えてしまった。たとえばヒロイン・パウラ、むさ苦しい男ばかり潜水艦に紅一点というか華があるというのはアニメでは珍しくもないし悪くない演出だと思う(EX.天空の城ラピュタ)。だけれど、実写のおっさんばかりの中に混じると、これがとたんに違和感に変わる。どうにも浮いているように見えるのだ。人間を用いた超兵器も少女もなぜか現代的価値観で日本を批判する朝倉大佐も、肉体ある俳優達が演ずる実写としては、あまりに現実離れしていて、実感が湧かない。文字媒体である小説ではあくまで二次元的に脳内でイメージされるし、アニメではまったく二次元であるから、現実感0の設定や台詞や思想があっても悪くはない。あくまで実写で演じられると微妙、というだけである。パウラに関しては、服飾をデザインした出渕裕のせいもややある気がする。あのマント姿はかなり良かった。アニメなら。プラグスーツについてはノーコメント。
ただ、この映画はあくまでもエンターテイメントであり、そうした前提で製作しているのだから上記の部分を批判するのは的外れだ。なによりも、20.3cm連装砲一基搭載のシュルクーフじみた潜水艦が活躍する話、それに現実的だのなんだのといった突っ込みは野暮の極みだろう。

同様にミリオタ的な突っ込みもしない。出来のいい潜水艦映画を見たければ洋画なら「Das Boot」を、邦画ではちょっといいのが思い付かないので小説だが「雷撃深度一九・五」かその元となった「伊58潜帰投せり」あたりを観たり読んだりすればいい。特に「伊58潜帰投せり」はカナリおすすめ。俺が読んだのは朝日ソノラマ文庫版だったけれど、学研M文庫で復刊されてるはず。

これ普通にアニメでやればよかったじゃん、ってのは禁句なのだと思う。あえて実写でやったんだしね。小説はおもしろいんだが。なんで小説では気にならなかったことがこんなにも鼻につくんだろうね。