7度脱走した男

しぶしぶ論文を読んでいたらおもしろそうなネタがあったのでまとめておく。

1939年のソ連ポーランド侵攻後、森に逃げこんだポーランド人Crezlawは1941年、今度はドイツ兵に追われ捕らえられた。すぐに脱走したがふたたびつかまりリトアニアにあった収容所に送られた。環境は劣悪で食料もなく餓死者がでた。ドイツへ移そうとドイツ軍は考えたが彼はにげることなく生のジャガイモと麦で飢えを凌いだ。ドイツへ移された後、彼は二度逃げてそのたびにつかまった。同郷の友人4人はみな殺されたが彼は生き延びた。何度も死ぬ覚悟をしたが死ななかった。
ドイツでは最初、鉱山で働かされたがすぐに脱走し、4週間ほどフランスに潜伏した。またつかまり収容所に連れ戻された。収容所でドイツ兵はCrezlawに銃を向け銃殺だとからかった。「なぜ撃たない。俺を撃ち殺せ」と彼は言った。結局ドイツ兵は彼を撃たなかった。


しばらくして、列車でルクセンブルクへ移送されるとき列車から飛び降りて彼はまた脱走した。列車に居残った収容所の友人はみな死んだ。というのも、こののちこの列車は軍用列車と誤認した米軍に爆撃されたからである。


またフランスで潜伏していたが、また見つかった。一人のドイツ兵がやってきて流暢なポーランド語で逃げろと言った。「行っちまえ。さもなくば撃つ」。


潜んでいた村はドイツ軍に焼き払われ、またまた森に逃げた。こののち戦争は終わり、ポーランド人Crezlawは、ロシア人と偽ってロシア軍キャンプに潜り込んだ。キャンプでは存分に飲み食いでき、タバコもたっぷりあった。3週間ほどしてアメリカ兵と自由ポーランド軍士官があらわれ、集まったロシア兵に向かってポーランド人は一歩前へ進めと言った。Crezlawただひとりが進み出た。こうして彼は自由ポーランド軍に加わり、戦後イギリスへわたったポーランド系移民の一人となった。

Ethnic Communities Oral History Project,Passport to EXILE:The Polish Way to London, London,1988,pp.20-1より要約。なお、本文はOralとある通り、Crezlaw氏による一人称で述べられている。

結局7度脱走してそのたびにつかまり、収容所では銃を突きつけられ、走る列車から飛び降りて逃げ(しかも列車はその後に爆撃され)、ドイツ兵に見逃されて戦争後はロシア軍キャンプに潜り込み、自由ポーランド軍に合流してイギリスへ渡ったCrezlaw氏。世の中にはこうした、映画かマンガみたいな出来事が本当にあるものだ。