劇場版AIR

というわけで見てきたよ、劇場版AIR
なんか公式で公開されてる背景で原作にはない『廃校舎』があったり、廃線になってるはずの町なのに電車が走ってたり、CM第二弾の出来が微妙だったりしたけれど、監督に出崎統を迎えたことが吉と出るか凶と出るか……。
結果からいうと、鍵っ子のボクとしては大凶でした。

麻枝准

AIRはラストの1シーン、観鈴の「ゴール」という一言に収束される物語である。
企画を立てた麻枝准は、この場面へつなげるべく、あそこまで畸形化した物語を組み立て、モニターの前のオタの感情を揺さぶった。

AIRは企画者である麻枝准の類まれなる感性により成立していると言っても過言ではない。AIR編終盤でただ会話とト書きだけで進むシナリオに、その真髄が現われていよう。
もっとも、犠牲は大きかった。理詰めよりも感性によるシナリオであるため、一旦作者の作り出した雰囲気から抜け出して部外者としての視点で眺めると、勢いでくみ上げられたシナリオの穴ばかりが目立つ。たとえば神奈と観鈴に直接の関係があるのかどうか、なぜ観鈴はゴールしなければならないのか。麻枝はゲーム内においてはっきりとした形ではないにせよ、推論が可能となる程度には理由を残していたし、また哀れなる鍵っ子達は盛んに行間を読み、考察を重ねて穴を補完していった。


だが、アニメではそうもいかない。プレイヤーが自分のペースでクリックしていくことで、音付き電子紙芝居でありながらプレイヤーに一体感をもたらし得るゲームと異なり、まったくの受動となるアニメではその展開の中で視聴者に「どうして?」というひっかかりを持たせてはならない。引っかかったことで視聴者が置いてきぼりにされようとも、アニメはお構いなしに進行してしまうからである。麻枝はこれを畸形的な物語(1000th summer)を押し付けることで直接的にも解決しようとしたが、時間的制約(劇場版AIRは約100分)が大きいアニメでは難しい。
だから、劇場版監督の出崎統は、感性ではなく話の整合性を求めた。観鈴が死んでしまう理由に彼は「好きな人に好きと伝えると死んでしまう」という単純明快な呪いを設け、「どうして?」というひっかかりが表面化せぬよう勤めた。劇場版AIRでは原作にあった様々なイベントを一旦要素に分解、麻枝の感性を省いた上で「観鈴という一人ぼっちの少女が男とであって義理の母親と親子になって死ぬ」という話を構成する必要最低限の要素のみを抽出して再構成した。上の話を進める上で、障害となる(視聴者にひっかかりを与える)事柄(EX 1000th summer)を取り除いて。



とりあえず、原作との印象的な相違

  • 人形劇大繁盛
  • ※そらが最初から空を飛んでる。ただのカラス。
  • 観鈴が色気付いてた
  • ※往人は消えない。
  • 往人の母親、普通に生きてるっぽい。
  • というか、母親に言われて家を出て旅をしてる往人
  • 観鈴最初から病気認定
  • ※「がお」や「にはは」に説明なし
  • 観鈴、夏祭にトラウマなし
  • ※館から逃げ出さない神奈
  • 互いに敬称で呼び合う神奈と柳也

「ああ、なんて素敵な殿方なのでしょう、柳也様」「神奈様……」
(初めギャグかと思ったよ)

  • 館内で普通にやる神奈と柳也
  • ※神奈には最初からヘンな呪いが掛かってる

(好きな人に好きと言葉で伝えると死んでしまうらしい。観鈴も同様。この設定により神奈と観鈴の関連性を印象付けているようだが、はて)

  • 瞬殺される八尾比丘尼
  • 高野山は出てこない。
  • ※ただの恐竜な好きな観鈴(繰り返すが幼少時のトラウマが殆どない)
  • ゴールの先には晴子と往人の二人。しかも髪を切ってその直後。


(※は原作で重要な伏線)
さすが原作ブレイカー。
なんでも壊せばいいってもんでもないだろうに。
というか、壊し方が中途半端なのが悪いのかな。
いっそのこと、観鈴も晴子も全員殺す、くらいのことをしてくれれば、そういうものと割り切って楽しめるんだけどね。
中途半端にパラレルワールドしてて中途半端な出来だからなんとも評価しがたい。
原作しらなければ、無難な劇場アニメだろうしね。


どうでもいいんだが、なぜか劇場版の観鈴に「観鈴ちん」と愛称で呼ぶことに躊躇いがあるのだが、俺だけだろうか?
イメージの中の観鈴ちんとえらい違うんだよなあ。



最後に、パンフレットの出崎監督インタビューから引用することで、監督がAIRというゲームをどの程度理解していたか考えたいと思う。

(脚本を詰める上で気になったのは)観鈴が死ぬ理由だった。中村君に訊いても病気らしいけれど、はっきりした病名は判らないって言うんだ。翼人の伝説になぞらえて、恋をすることで命を奪われていく。それは分かる。分かるんだけど、死んでしまいそうになっていることについて観ている人に「どうして?」と思わせないかたちでドラマを構成しなければいけない。そういった部分を調整しながら、脚本を書きなおしてもらっているうちに、俺が仕事を引き受けるきっかけになった、最初の脚本にあった、不思議な感性がなくなっちゃったんだ(笑)

>恋をすることで命を奪われていく >恋をすることで命を奪われていく
>恋をすることで命を奪われていく >恋をすることで命を奪われていく
>恋をすることで命を奪われていく >恋をすることで命を奪われていく
>恋をすることで命を奪われていく >恋をすることで命を奪われていく


さすが出崎だ。鍵っ子どもの誰もが知らない設定を見事行間から読み取って劇場版で再提示してるがなんともないぜ。