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露土戦争でボコボコにされ地方地主層が好き勝手やりして統制のとれなりつつある帝国で、基本的に陸軍国のため海にまったく理解ないスルタンや政府首脳、それどころか陸軍系要人の出世コースのためまったく海を知らない人間が海軍大臣におさまる悪条件で主力のガレー船を西洋式帆船に切り替えようと試みる帝国海軍。ガレー船はともかく帆船では熟練水兵が必要となり、やむなく海上生活に慣れた非イスラム教・ルーム(ギリシャ系)たちを大量に抱え込むハメに。ところが苦労して用意した帆走軍艦では正教徒のギリシャ系水兵のためにムスリム士官配慮しなければならない状態に。
おりからのギリシャ独立でルームの大量脱走を経験した政府・陸軍は非ムスリムの排除を海軍に求めるも、生まれてから一度も海を見たことのない若者では帆船操作にまったく役立たないという現実的な問題から海軍は猛反発。幾度かのくだらない対立の後に結局海軍はルームに依存し続け、彼らは19世紀中頃まで重用された。
海軍のルーム依存度はオスマントルコというかイスラム教のイメージを覆すものがある。
ルームはギリシャ系であり、ほんとどがギリシャ正教徒である。あるとき彼らは重要な礼拝のため教会に詣でることを求め提督が上陸を許可した。三日間艦隊はその地に留め置かれ、挙句に脱走まで発生した。このため、軍艦にキリスト教聖職者の乗船検討を求める上申書が海軍大臣から大宰相に提出される始末。さすがに航海中の乗船はシャリーアにかかわることとしてわざわざシュイヒュルイスラーム(イスラーム法学者の最高位)に判断を仰ぎこれはイスラーム法学上認められなかったが、1847年のケースでは停泊中の軍艦に司祭を招いて礼拝を行うことは大宰相が認めたという。
いわゆるエルトゥールル号遭難事件で有名なエルトゥールル号、アブデュルハミト2世のパンイスラム主義プロパガンダのために極東派遣されたそうで。老朽艦&練度未熟ながら1889年7月に無理やり出港させられさっそくスエズ運河で浅瀬乗り上げ&岸に接触して舵損傷。修理に二ヶ月費やしてイスタンブール出港から4ヶ月かけてシンガポール到着するも機関航行する石炭も極東への季節風もなくなり、4ヶ月ほど港に引きこもり。この間、イギリス系新聞に欠陥品だのオスマン帝国は金がないなど掻き立てられスルタン大いにキレる。1890年6月にようやく日本到着するもコレラ感染のため検疫所に隔離。シンガポール停泊時のような中傷報道を厭うて早期帰還求められ台風接近の中出港しあわれ海の藻屑に。
本書では、途中寄港地でオスマン帝国の旗をみたムスリム系現地人の熱狂的な歓迎を受けパンイスラム主義敷衍・カリフの権威再確認に一定の効果があったとみなしているが、その後の歴史のながれをみるにあんまり効果なかったんじゃないかなあ、と。むしろ、現在トルコではエルトゥールル号沈没でイスラム教の盟主オスマン帝国の権威が失墜しトルコ青年革命の遠因の一つとなったというのが通説らしく、この解釈のほうが納得しやすいと思います。
オスマン帝国権威見せつけのためになんでわざわざ老朽艦を派遣したかというと、当時の海軍で極東までの遠洋航海に耐えられるような大型艦が4隻しかなく、その中では最も新しい艦としてエルトゥールル号は選ばれたんだとか。一度破産しちまってるとはいえ末期のオスマン帝国のgdgdっぷりがよくわかります。「ボロすぎて無理」散々指摘されてた1864年就航の木造フリゲート艦(練習艦)にまともに操船できない乗員乗り込ませて極東まで送り込むスルタン怖い。
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